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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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太子山 ―たいしやま―

下京区油小路通仏光寺下ル太子山町

御神体:聖徳太子

 

四天王寺建立に際して、聖徳太子が良材を求めて山城国に入り、霊験によって得た大杉から六角堂頂法寺が造られた縁起に由来した山です。真杉を立て、そこにお守りと太子の念持仏である如意輪観音像を納めたお厨子を掛けています。

御神体は白い装束に髪をみずらに結った考養太子像の聖徳太子です。前懸の「阿房宮図」は緋羅紗地に始皇帝を描いたものです(平成11年復元新調)。インド更紗に豪華な金糸の刺繍を施した胴懸や隅房金具の威風堂々とした飛龍は必見です。七宝編みの組紐製水引も珍しいです。

巡行では見えない場所も美しく

聖徳太子の尊号を書いたのは

太子山では、山ノ内川の欄縁の下に中釣幕(なかつりまく)を掛けています。唐織の能装束の古い生地(約230年前の安永4年と記載)を明治期に加工したものですが、近年傷みがひどくなってきたため、平成20年、中釣幕の復元新調を行いました。

山の内側をくるりと覆う幕なので、巡行のときに普通に見物していたのでは見えません。高いところから山を見下ろさないと見えない幕ですが、会所飾りで披露されます。扇面つなぎ文様の唐織は、34.5センチ×646.5センチほどの大きさです。

会所飾りで披露される「聖徳太子」と書かれた尊号は、落款がないので誰が書いたものか疑問に思う人も多いかもしれません。実は、260年以上前の青蓮院一品尊祐法親王(しょうれんいんいっぽんそんゆうほっしんのう)の親筆であることが証明されました。

平成18年、延享1(1746)年6月28日に太子山町の九右衛門の望みで「聖徳太子、掛字を染筆」と記録された日記の存在が確認されたのです。ちなみに、皇室関係の親筆には通常、落款は押されないそうです。

祇園祭と茶の湯

太子山には、荷(担)茶屋(にないぢゃや)と呼ばれる、天秤棒の両端に茶道具を入れる箱形の水屋を下げた道具が残されています。江戸時代にお茶を楽しむ習慣が京童の間に定着してくると、神社仏閣、物見遊山の先々で、風炉や釜を担い、その場でお茶を点てて飲ませる売茶商人が登場しました。

その名残のこの荷茶屋は、明治頃までは実際に使われ、巡行の時、お供の人たちののどを潤していたといいます。。

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