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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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大船鉾 ―おおふねほこ―

下京区新町通四条下ル四条町

応仁以前に存在する歴史ある鉾ですが、元治の大火により類焼してしまい、以後休み鉾となってしまいます。応仁の乱後の作と言われる神功皇后の御神体、御神面をはじめ、江戸後期の懸装品・装飾品は守られ、121点が、平成19年、市の有形民俗文化財に指定されました。

休み鉾となってからは、御神体と懸装品を飾るだけの居祭りを行っていましたが、平成7(1995)年にはそれも休止し、神事のみを行うようになりました。しかし、平成9(1997)年には宵山の復活し、平成18(2006)年には飾り席も復活し、焼失から150年目の平成26(2015)年7月、ついに後祭り巡行へと復帰を果たしました。

御神体:神功皇后

威信を賭けた大金幣VS龍

御神体・神功皇后

大船鉾のある四条町は、明治2年まで北四条町と南四条町に分かれ、隔年で鉾を出していました。今に残る大金幣は舳先を飾ったもので、南四条町の装飾品です。一方北四条町は龍頭を飾ったのですが、こちらは残念ながら現存していません。大金幣が2メートル余りなので、さぞかし大きなものだったことが予測されます。

神の依代の幣と神獣の龍は風を切るような勇壮な様子だったといわれています。

神功皇后は仲哀天皇の后で応神天皇の母です。応神天皇を身ごもりながら海を渡り、新羅・高句麗・百済を平定したといわれています。祇園祭では占出山・船鉾・大船鉾が神功皇后を祭神としています。戦のゆくえを占うために鮎を釣られた姿を表しているのが占出山、戦に出陣する船を表しているのが船鉾、戦に勝って凱旋する船を表しているのが大船鉾です。そのため、船鉾の御祭神は鎧姿ですが、大船鉾の御祭神は鎧を脱ぎ狩衣をまとったお姿です。

また、船鉾には渡海の無事を守るために住吉明神・鹿島明神・安曇磯良の三神がお供されています。

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