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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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孟宗山 ―もうそうやま―

中京区烏丸通四条上ル笋町

呉の国の孟宗が、病の母の大好物の筍を雪中の竹やぶで掘り当て、食した母の病が癒えた故事に由来しています。御神体は左手に鍬、右手に筍を持ち、喜んで帰っていく姿を表しています。筍などにつく雪が、夏の祭りにあってひときわ目を引きます。

見送は竹内栖鳳筆「白地墨画竹林図」です。見送金具と、15種類もの鳥を表した欄縁金具は栖鳳師・幸野楳嶺の下絵によるものです。界隈は混み合うので、会所飾りを見るなら日暮れ前がおすすめです。

御神体:孟宗

 

住民の知恵が守った山

この母にしてこの子あり

応仁の乱などによる大火で、祇園祭のほとんどの山鉾は焼失の憂き目にあっています。どんどん焼けでも大きな被害が出ましたが、孟宗山では、過去を教訓に懸装品などの貴重なものを各家で分散して保管することで、この幕末の大火から守り通したという逸話があります。

寛政年間、七条大仏師・康朝の作と伝わる御神体をはじめ、中国明代に作られたという刺繍の見送など、町民の知恵が守った宝を、会所飾りで公開しています。

中国二十四考のひとりに数えられる孟宗だが、故事に後日談があるのはご存知でしょうか。孟宗は親孝行のあまり、自らが監督をする御料池の魚を、母に届けました。すると母は公私混同をきつく戒め、魚をつき返したのだそうです。まさにこの母にしてこの子ありです。現代への教訓も含んでいると言えそうです。

孟宗山では、親孝行の護符を出します。孝行の意味を考え直す機会にしてみてはいかがでしょうか。

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