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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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鯉山 ―こいやま―

中京区室町通六角下ル鯉山町

龍門の滝を登り切った鯉は、龍になるという中国の「登竜門」の故事を表現した山です。飛沫を上げながら滝を登る鯉の彫像は、左甚五郎の作と伝えられています。

また、前懸・胴懸・水引・見送はギリシャの英雄叙事詩『イーリアス』の名場面を描いた逸品です。欄縁を飾る金具は、激流を表現した波濤文様で立体感のある厚肉彫です。隅房掛金具も波を意匠しており、千鳥を一羽ずつ浮彫にしています。明治の名工・村田耕閑の作です。

御神体:鯉・素戔鳴尊

左甚五郎の鯉神像

山を飾るベルギーの名品

中国の故事「登竜門」にあるように、黄河の上流にある龍門の滝を登った鯉は龍になるという伝説をあらわす鯉の御神像です。躍動感あふれる大きさ約1メートル半の木彫りの像で、名匠左甚五郎の作と伝えられています。

逆巻く波をものともせず、立身出世の御利益にあずかろうと、精巧と繁栄を祈念します。

山を飾る懸装品は、16世紀にベルギー・ブリュッセルで製作されたタペストリーです。トロイ戦争を題材にした、ギリシャの詩人ホロメスの叙事詩『イーリアス』の名場面で、山飾りのために9つに裁断されています。

断ち切る際には、大工のノミを用いたと伝わっているほど、精巧で頑丈な名品です。国の重要文化財にも指定されています。

懸装品との不思議な出会い

鯉山を飾るタペストリーは、1580年から1620年頃の間にベルギー・ブリュッセルで製作された5枚シリーズの1枚です。日本にやってきた経緯は定かではありませんが、時期は17世紀(約400年前)頃だとされています。その後、5枚のうち2枚は加賀藩・江戸幕府の手に渡り、残りの3枚は文化文政の頃に会津藩を通じて京都の丁寧寺に運び込まれ、その1枚を鯉山町が購入しました。

他のタペストリーが複数の山鉾で分断され、また徳川家経由で東京芝増上寺に渡ったものが焼失していることから考えあわせても、鯉山の懸装品がいかに貴重であるかを伺えます。

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