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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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北観音山 ―きたかんのんやま―

中京区新町通六角下ル六角町

北観音山は文和2(1353)年創建の曳山です。最初は屋根がありませんでしたが、長い歳月を経て、寛政から天保の頃には現在の形におさまってきたといわれています。ご神体は楊柳(ようりゅう)観音像とその右わきに韋駄天(いだてん)立像が祀られています。優美な観音像は、鎌倉時代に日光からこの京都の地に伝わりました。

天明の大火(1788年)の時には、観音像の胴体を焼失しましたが、仏師法橋定春の手によって補修されています。現代では入手不可能な見送や水引のほか、精巧な錺金具も多数みられます。

御神体:楊柳観音・韋駄天

 

今年の天水引はどっち?

数百年の眠りの後に

天水引のひとつは明和6(1769)年に制作された猩々緋(しょうじょうひ)新地霊龍文様天水引で、緋羅紗地の一面に青龍が絢爛豪華に刺繍されています。もうひとつ、文化14(1817)年に制作された金地観音唐草文様水引は、平成元年に西陣の名匠山口安次郎氏の手によって復元新調されました。縁起の良い唐草模様は、耐えることのない生命が表現されています。

霊龍文様と唐草文様の2つの天水引のうちどちらを曳山に掲げるかは、毎年、吉符入の頃に決められます。

見送「綴錦鳳凰宝散額唐子嬉遊図」は、17世紀末中国明末清初製の懸装品です。数百年間チベットの寺院で保管されていたもので、天然染色による鮮やかな紅色は、いまだ褪色することなく世界でも貴重とされる名品です。

精細な模様は、琴棋(きんき)書画に講じる唐子の姿が生き生きと描かれていて、心身ともに健やかな子供が育つように、深い祈りが織り込まれています。古来、中国では嫁入りに持参したもので、家が栄える象徴でした。

真松に止まる鳥は鳩か尾長鶏か?

北観音山と南観音山は、昔の交替で巡行していたよく似た山ですが、真松に止まる鳥は違います。今は北観音山が「鳩」、南観音山が「尾長鶏」といわれており、これは宝暦7(1757)年に出版された『祇園御霊会細記』の記載に基づいて伝承されています。

ところが、本来は違っていたようで、逆さまに記載がされてしまったらしく、元に戻すべきか、民族伝承を優先すべきか、結論はまだ出ていません。

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