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函谷鉾 ―かんこぼこ―
下京区四条烏丸西入ル函谷鉾町
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鉾の名は、斉の孟嘗君が、難所の函谷関を鶏の鳴き声により脱出したという中国の史話にちなみ、真木の中ほどに孟嘗君、その下に雌雄の鶏を据えています。
平成19年、稚児人形の衣装を復元新調しました。重要文化財の前懸は16世紀のベルギー製のタペストリーで、平成18年に復元新調しました。新旧の前懸は、会所飾りで見ることが出来ます。稚児人形は、稚児として乗る予定だった一条実良卿をモデルにした等身大(120㎝)で、名前は「嘉多丸」と言います。
稚児:嘉多丸
天王:孟嘗君
キリシタン禁制時になぜ?
函谷鉾だけの三大行事
函谷鉾の至宝と言えば、前懸「イサクに水を供するリベカ」です。享保3(1718)年に町内居住の豪商・沼津宇右衛門より寄贈されたことが分かっています。しかし、旧約聖書創世記より題材をとるこの前懸を、なぜキリスト教禁制の時代に、堂々と使うことが出来たのでしょうか。
実は昭和45年に調査が行われ重要文化財に指定されるまでは、「水汲む女」と呼ばれており、誰も聖書にゆかりのものだと気付かなかったから、というのが真相だそうです。
正月には、町会所のビルの守護神である伏見稲荷大社一の峰の「春永大明神」へ、6月には、祭りの無事と火伏せ祈願のため「愛宕神社」へ詣でます。愛宕神社から受けるお札は真木に貼り付けるのが慣わしです。
また、祭りの前には宇多野にある龍源寺へ墓参します。明治5年、鉾見物の一人が鉾に轢かれて亡くなる事故があり、鉾に落ち度はなかったものの、冥福と祭りの安全を祈り、130年以上、欠かすことなく続けられてきました。
青空も甦った復元新調
龍村美術織物により復元新調された前懸は、裏地をめくって、色あせしていない部分から元の色を調査し、色決めをして糸を染めるのに1年を費やしました。白っぽいと思われていた空が鮮やかな青だった、など、54色を使って当時の色彩が甦りました。
ところで、タペストリーは左端から織りはじめます。織機の表には裏面が出てくるので、少し織っては覗き込んで複雑な図柄をチェック…を繰り返し、織だけでも丸1年かかったそうです。