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浄妙山 ―じょうみょうやま―
中京区六角通烏丸西入ル骨屋町
平家物語に描かれた宇治川の橋合戦での、三井寺の僧兵筒井浄妙と一来(いちらい)法師の奮戦ぶりを表します。平家に反旗を翻し、源氏勝利のきっかけになる戦いなので、宵山には勝運御守が授与されます。
胴懸けのイギリス絨毯「エジプト風景図」や「仙人琴棋書画図」が有名です。雲龍柄の見送は、紘織(かがりおり)という特殊な技法の者です。また長谷川等伯原画の「柳橋水車図」「柳橋図」は綴錦織です。町内所有の鎧「黒韋威(くろかわおどし)胴丸」は国指定重要文化財です。
御神体:筒井浄妙・一来法師
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浄妙の鎧は楠木正成のもの?
長谷川等伯と縁が深い
本来、浄妙が着用していた黒韋威胴丸の鎧は、江戸中期に松平定信が編纂した文化財の図録『蒐古十種(しゅうこじゅっしゅ)』にも載っており、それによると元は楠木正成の鎧だったとあります。
その信憑性はともかく、鑑定によると室町後期の品であると言います。
名品と謳われた胴懸の損傷が激しく、現在は長谷川等伯の「柳橋水車図」を下絵とした綴錦織が掛かっています。さらにこの度、東伯、久蔵親子が描いた智積院の国宝障壁画を下絵とした久蔵の「桜図」前懸(平成19年)と、等伯の「楓図」前懸(平成20年)が新調されました。絢爛豪華な桃山時代の色彩にあふれた親子共演が楽しめます。
ちなみに現有の前懸「仙人桃源郷」と後懸「仙人観瀑図」は、天明大火をくぐり抜けたものです。
町内の器用人 本山善右衛門
雲龍の文様を織った見送は、この世に2つとない紘織(かがりおり)という技法で織られています。紘織とは、町内に住んでいた本山善右衛門が創案した手織技法で、平織ですが、緯糸(よこいと)に図柄を合わせて色糸をまいた紙縒(こより)を使っています。
文か13(1816)年、1000日を費やして74歳で織り上げたと箱書きには記されています。