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橋弁慶山 ―はしべんけいやま―
中京区蛸薬師通室町東入ル橋弁慶町
謡曲「橋弁慶」をもとに、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う様子をあらわしています。御神体には永禄6(1563)年の銘が記されています。
前懸は富岡鉄斎の原画「椿石霊鳥図」、胴懸の綴綿「加茂葵祭行列図」は円山応挙の下絵と伝えられています。山にも真松も朱傘も山籠もなく、古来の形をいまに伝えています。山上で対峙する御神体は、まわり舞台のごとく四方どこから眺めても迫力みなぎります。古来くじ取らずの山です。
御神体:弁慶・牛若丸
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まるで奇跡!牛若丸の立ち姿
弁慶が着ている鎧
巡行時には揺れの激しい山上で、牛若丸像は絶妙なバランスを保っています。橋の擬宝珠(ぎぼうし)の尖端に、左足の足駄(高下駄のこと)の前歯のみで立っているのです。左脛(すね)から肩まで心木(しんぎ)が通り、さらに脛から踵(かかと)、次に足の甲を通り抜けて前歯へと通っています。心木は何段階にも別れ、その複雑な構造は先人の知恵によるものです。
町内では、牛若丸と弁慶の人形の着付けは担当を変えない慣わしがあります。
「黒韋威肩白胴丸」(重文)は室町中期(1450頃)に作られたもので、橋弁慶山が再興されたときに、御神体が着用していたと考えられています。
牛若丸の喉木に、永禄6(1563)年6月吉日の銘が入っているので、まずその頃には身に着けていたといわれます。ちなみに、現在弁慶が着用しているのは江戸中期の作です。
五条大橋を飾る波に千鳥
ふたりの御神体が対峙する五条大橋は、黒漆塗反り橋で橋板の艶がとても美しいです。左右4本ずつ親柱があり、鍍金(ときん)の擬宝珠がついています。牛若丸が立つ擬宝珠は2つに分かれ、人形の差し金を差し込み、蝶番を閉じて固定する仕組みです。
欄縁の金具は、「波に千鳥」をあらわした高浮彫で、橋の下を流れる賀茂川を思い起こさせます。