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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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船鉾 ―ふねぼこ―

下京区新町通綾小路下ル船鉾町

鉾全体が船の形をしていて、舳先には瑞鳥である金色の鷁(げき)、船尾には黒漆青貝螺鈿細工でこしらえられた飛龍の舵がついています。鉾の上には神功皇后と、皇后を守る龍神磯良(いそら)、住吉、鹿島の三神像が安置されています。御神体には元和2(1616)年の銘が記されています。

神功皇后は妊娠中に戦に出陣し、戦勝した上に無事皇子を出産したことから安産の神とされています。ご神体にまかれたさらしは腹帯として授与されます。

御神体:神功皇后・住吉明神・鹿島明神・安曇磯良

 

出産を見守った御神面

本物の造船技術で鉾建て

多くの宝物の中で最も大切なのが御神体の面です。文安年間(1444~48)の裏書と、祇園社神官の花押が記されていて、能面以前の古作であることがうかがえます。本面と写しの2つがあり、毎年7月3日の朝に、収納箱から面を取り出し対面する「神面改め」という儀式が町内会で行われます。

神功皇后の御神面は幕末の頃、皇女和宮様のご出産や、明治天皇誕生に安産祈願で宮中に奉持されました。

鉾は本物の木造船の技法を用いて組み立てられます。他の鉾のように鉾柱を持たず、石持という頑丈な木材を土台にして、その上に櫓が組まれていきます。釘1本使わない、昔ながらの縄絡みの技が、巡行時の激しい揺れを緩衝しています。

船首に輝くのは、木彫総金箔の瑞鳥鷁です。鷁とは、強風に立ち向かう想像上の鳥のことで、水難除けの意味を持ちます。長谷川若狭の宝暦10(1760)年の名作です。

出陣の鉾と凱旋の鉾

歴史を遡ること室町時代、応仁の乱よりも前のこと、『祇園社記』の中で「神功皇后の舟」と記された一項があります。この頃、神功皇后ゆかりの船は、「出陣の鉾」と「凱旋の鉾」の2基があったらしく、そのひとつ「出陣の鉾」のほうが、現在の船鉾です。

ちなみに、凱旋の鉾は元治元年(1864)年に焼失した大船鉾のことです。

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