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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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山鉾巡行

昭和40年までの山鉾の巡行は、先祭(さきのまつり)の17日と、後祭(あとのまつり)の24日がありました。前祭は20基、後祭は9基で巡行していましたが、昭和41年から、すべての山鉾の巡行が前祭の日(17日)に合同されました。

現在は、長刀鉾を先頭に船鉾までの前祭の山鉾が23基、それに続く北観音山から南観音山までの後祭の山9基の合計32基で行います。平成24(2012)年からは唐櫃で巡行復帰する四条町大船鉾を加え、くじ取式に決められた順番にしたがって四条烏丸を先頭に勢揃いします。

四条堺町でくじ改めを行った後、四条麩屋町では、巡行のハイライトで長刀鉾稚児の最重要儀式、注連縄(しめなわ)切りが行われます。齋竹に貼られた注連縄を太刀で切り落とすことで、神域との結界を解き、巡行を進めます。

河原町通、御池通と進み、御池新町で解散し、新町通を通って各山鉾町へと帰っていきます。

通りの角で行われる、鉾や曳山の辻回しも見ものです。

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くじ改め

山鉾巡行の列が四条堺町まで進むと、そこでくじ改めが行われます。これは、各山鉾の順番がくじ通りであるか、改める儀式です。大紋(だいもん)烏帽子姿の奉行役である京都市長に対し、各山鉾町の町行司が文箱(ふばこ)の中のくじ札を差し出します。町行司は、文箱の結び紐を、扇子を使ってほどき、蓋をあけてくじ札を差し出します。奉行がくじ札を確認すると、町行司は後ずさりして、山鉾に向き直って山鉾で招くパフォーマンスをします。

くじ取らずの山鉾は奉行への挨拶のみで先に進んでいきます。

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神幸祭 神輿渡御

もともと祇園祭の本質は、神輿渡御(神幸祭)にあるといわれます。先祓いとして山鉾が巡行した夕刻、八坂神社の神霊が遷された神輿を四条寺町の御旅所に迎える行事です。午後4時、久世駒形稚児(二人のうち年少の方)が馬に乗ったまま、正門である南楼門から入り、舞殿を3周して清々講社、宮本組が待つ本殿へと向かいます。まず、神輿渡御に先立って祭典が行われます。

その後、舁き手が舞殿を3周して、出発した3基の神輿は氏子区内のそれぞれ所定のコースをめぐりますが、午後6時30分頃、祇園石段下に3基の神輿が揃い、さし上げをするのが見どころです。古例により久世駒形稚児が中御座に供奉します。また神輿とともに、宮本組神宝奉持列や豊園者御真榊行列も所定のコースを練り歩きます。

午後9時ごろより次々に御旅所に到着し、それぞれ神輿から御旅所へ御神霊を遷す神事が執り行われます。この日から還幸祭の24日まで、神霊は神宝とここに留まるのです。

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無言詣

7月17日から24日までは、四条寺町の御旅所に八坂神社の神輿が鎮座します。この間、一言も口を利かずに、毎晩欠かさず御旅所に夜詣りをすれば、願い事がかなうと言われています。7日目の24日は、一晩に7回半詣らなければならないのだとか。四条大橋から御旅所までの往復を1階とみなし、7回往復し、8回目は御旅所止まりで7回半と数えます。祇園の舞妓や芸子の願掛けに交じって、一般の人の姿も見かけますが、最近は無言詣をする人も減ってきているようです。

 

祇園の女性たちに伝わってきた無言詣は、四条大橋から御旅所まで7日間、誰に会っても口をきいてはいけません。口をきくと、その願い事はご破算になります。そのため、なるべく人に会わない真夜中にお詣りするのですが、芸子や舞妓にとって、四条大橋から御旅所いえば、知り合いに会うことも多い場所です。しかも、祭りの賑わいで結構遅くまで人通りがあります。向こうから知り合いがやってくるのが見えたら、あわてて四条通の反対側へ渡って逃げたといいます。

昔は、なじみの舞妓や芸子が無言詣をしていると知ったお客が、何とか口をきかせようと、いたずらを仕掛けたりすることもあったんだとか。そんなわけで無事におまいりするのが難しい無言詣は、成就すればそれだけご利益もあろうというものです。

しかし、最近、無言詣の姿も減ってしまいました。若い女性が夜中にひとりで出かけるのは危ないということもあるのでしょうが、何でも自由にできる時代に切羽詰った願い事を持つ人がいないのかもしれません。

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