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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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長刀鉾稚児社参

唯一の生稚児である長刀鉾稚児が、水干(すいかん)に蝶とんぼの冠に金の立烏帽子(たてえぼし)をつけた姿で白馬に乗り、お供を従えて八坂神社に詣でます。御供は裃姿、禿も稚児を守る武士として小素襖(すおう)に侍(さむらい)烏帽子を着けます。稚児が正五位少将(しょうごいしょうしょう)、十万石の大名と同じ格式を得られるという参詣で、この参拝を俗に「お位をもらい」ともいいます。この後、稚児は17日の巡行まで潔斎し、地面に足をつけることも許されず、別火(八坂神社からもらった神火)をもって食事をします。また、稚児の食事や着替えなどの一切の世話は、母親ではなく父親が行います。

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久世駒形稚児社参

久世駒形稚児は、鉾町から遠く離れた京都の南、現在の南区上久世町綾戸からわざわざやってくるちごで 、神幸祭(7月17日)と還幸祭(7月24日)に、中御座の神輿を先導する役目を持ちます。

「駒形」の名の由来は、胸に馬頭をかたどった木製の駒形をかけるところからです。この駒形は、久世綾戸國中(あやとくなか)神社の御神体で、綾戸國中神社の祭神は、八坂神社とおなじ素戔鳴尊です。八坂神社の素戔鳴尊は、やさしく穏やかな和御霊(にぎみたま)なのに対して、綾戸國中神社の素戔鳴尊は、荒々しく活動的な荒御霊(あらみたま)とされています。駒形を胸にかけて馬に乗り、神の依代となった稚児とともに荒御霊が八坂神社にやってくることで、和御霊と一体になるのです。

午後2時ごろ、綾戸國中神社の氏子から選ばれた二人の駒形稚児が、騎乗で八坂神社に参拝します。神役奉仕の宣状を受け、それぞれ一人ずつ神幸祭、還幸祭に奉仕します。このとき、何人(なんびと)といえども下馬を要求される八坂神社の境内を、騎乗のまま本殿前まで乗り付けることが出来るのです。この特別扱いも、八坂神社と同格の神の化身であるからに他なりません。二人の稚児のうち、年少の方が神幸祭に、年長の方が還幸祭に供奉する慣例になっています。神幸祭、還幸祭の当日、今は違いますが昔は実際に馬に乗って洛中にやってきた駒形稚児は、稚児宿に入って、衣装などを調えてから八坂神社に入りました。

また、平成20年、稚児の衣装が新調され、薄い朱色の狩衣になりました。

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会所飾り

鉾や山が立てられると、町内の会所やお飾り所に決まった家では会所飾りが行われます。御神体や懸装品などを飾り付け、会所の前に建った山や鉾には駒形提灯が吊るされます。祭情緒がいやが上にも盛り上がってきます。

会所飾りや、町内の役員を中心に男性の手によって行われ、会所の前で授与されるお守りや厄除け粽、販売品などの準備も進められます。

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祇園囃子

祇園囃子は、鉾と曳山で演奏されます。鉾の飾りつけも済み、会所飾りも調うと、囃子方が鉾に乗って祇園囃子を奏でます。お囃子は、笛、太鼓、鉦の3つの楽器を用いますが、どれも一人前になるには時間がかかります。小学生の時に囃子方になって、鉦を覚えるのに10年くらい、その後、太鼓方か笛方になるのだといいます。祇園囃子のメロディは、山鉾共通のものもあれば、独自の者も、レパートリーは各山鉾30~40曲ほどもあり、太鼓方が演奏する曲を決め、とぎれることなく連続して演奏します。巡行に際しては、ゆっくりしたテンポの奉納囃子、曲がり角での辻囃子、アップテンポの戻り囃子など、メロディだけでなくテンポも違うお囃子が次々に演奏されます。

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菊水鉾茶会

菊水鉾では、13日から16日までの4日間、会所でお茶会が開かれます。稚児人形「菊丸」が祀られた飾り席に茶席が設けられ、お飾りもお点前も拝見しながらいただけると人気が高いです。お菓子を載せた菊の意匠のお皿は持ち帰ることができ、年ごとにデザインや色が微妙に変わるため、毎年楽しみにしているファンも多いです。

菊水鉾の町内には、古くから「菊水の井」という名水が湧き出ていました。井戸はかつて宵山飾りの場所であった金剛能楽堂(平成13年移転)内にあり、この井戸の水を愛した茶人・武野紹鷗(たけのじょうおう)の茶室「大黒庵」もありました。能楽堂移転にともなう跡地のマンション建設工事で出土した、「菊水」の銘が入った井桁石と「菊水の井」跡説明板、大黒庵の跡地を示す石碑が、新たな会所となり、茶会が開かれるマンションの前に設置されている。

この菊水の井のゆかりから名づけられた菊水鉾は、謡曲「菊慈童(きくじどう)」(金剛流では「枕慈童」)に取材しています。中国の周の王に仕えていた侍童が、あるきっかけで流された地で、菊の葉からしたたり落ちる露を飲んで、長寿を保ったという中国の故事にちなみます。そこから、茶席に出されるお菓子の名は「したたり」と名付けられました。昭和45年に菓子司・亀廣永が、夏の茶会にふさわしい菓子として造り、当時の八坂神社宮司・高原氏が命名したものです。菊の葉からしたたり落ちる甘露のこころです。

お茶の奉仕は、表千家・裏千家・遠州流の3流派によるものです。

 

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