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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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保昌山 ―ほうしょうやま―

下京区東洞院通松原町上ル燈籠町

御神体は、和泉式部に恋をした平井保昌が、式部の願いで紫宸殿の梅を手折った姿を表しています。平成19年、明応9(1500)年の製作依頼、初めて御神体の御頭を修理しました。また、鎧の下に来ている襦袢の復元新調も進んでいます。

水引は孔雀の羽を縫い込んだ刺繍の逸品で、鳳凰鶴虎を排します。前懸「蘇武牧羊図」、胴懸「張騫に虎図」「巨霊人に白鳳図」は円山応挙の下絵による刺繍です。下絵は会所飾りで公開されます。

御神体:平井保昌

 

背中の布が悩ましい?

鎧に隠された秘密

かつて御神体が背負っていた布、実は“引敷(ひっしき)”という携帯用の座布団でした。本来はお尻の部分にあて腰に巻きつけるもので、江戸時代の「洛中洛外図」にも、そのように描かれたものが残っているといいます。

ところが明治時代、引敷を知らない人が間違って背中に据え付けられたらしく、近年までそのままになってしまっていました。保昌山保存会では、江戸時代の絵にのっとって、布の位置を変えるかどうか、大いに悩んだ末、本来の姿に戻して巡行しています。

こちらも御神体の話ですが、今の鎧は明智光秀の甥が着ていたものと伝えられています。以前の鎧は天明の大火で焼けてしまいましたが、足利家の紋が入っており、その部分は、年によって会所飾りで拝見することが出来ます。

室町時代、このあたりには足利家別邸があり、直々に寄贈されたものと考えられているのです。女性が好む縁結びの山でありながら、武将にもゆかりの深い山なので、男性もぜひ注目してください。ちなみに保昌自身も、源頼光に仕えた四天王のひとりです。。

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