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祇園祭 KYOTO Gion Matsuri
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芦刈山 ―あしかりやま―

下京区綾小路通西洞院西入ル芦刈山町

謡曲「芦刈」に基づく、ゆえあって妻と離れて難波の浦で芦を刈る翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の物語です。

御神体には、運慶の子孫にあたる康運が、天分6(1537)年に作ったという銘があります。また、天正の銘がある山鉾最古の御神体衣装(重文)を蔵しています。豊臣秀吉の陣羽織の図柄を復元した胴懸「豊公獅噛鳥獣文綴錦」ほか懸装品も必見です。山籠に真松を立て、金色の三日月をかかげています。哀愁漂う秋の暮れ方です。

御神体:芦刈翁

山鉾最古の御神体衣装

夫婦和合のお守りつき粽

御神体の旧の衣装は、桃山時代の「綾地締切蝶牡丹片身替小袖」で、山鉾最古の貴重なものです。重文に指定されており、普段は京都国立博物館で保管されています。

ほかにも、背中心の裾が分かれている「襦珍獅子蜀江文小袖」は、織田信長から拝領した小袖だともいわれています。しかし、鑑定では18世紀の作とあり、拝領したとするならば重文の小袖の方だとされています。

宵山に授与される粽は、町内で力を合わせ手作業で用意されています。厄除け粽には、夫婦和合、再縁、縁結びを願う木札のお守りがついています。宵山の日、会所では巫女さんから粽を授かることができます。

御神体の頭の裏に墨書銘

謡曲では若き男になっていますが、御神体の眉や口髭の抜け落ちたその容貌は、人生の悲哀を知った老年の相に見えます。右手に鎌、左手に芦を持ち、能衣装の懐には末広の扇子を携えています。

御神体の頭裏には「天分六丁酉年六月七条仏師運慶之玄孫式部卿法印康運作」という墨書銘が残っています。運慶には6人の子どもがおり、その末子運助の7代目にあたるのが康運です。康運は芦刈山の御神体を刻んだ26年後に、橋弁慶山の御神体も制作しています。

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